自分のために生きていこう。 ともひろのブログ

旧:死にたいって、言って良い。 精神保健福祉士ともひろのブログ〜マイナス感情の中の望み(意欲)に気づいた時。

病気を嫌ってもいい。

病気は悪いもの?

 

 

 

僕は30年生きてきたけど

 

大して大きな病気にかかったことがない。

 

だから

 

実際うつとか、適応障がいなんて状態になったら

 

自分がどう思うかわからないし

 

そう診断されてる人たちの気持ちは

 

本当にはわからない。

 

 

 

 

ただ

 

 

病気を悪いもの

 

なくしたいもの

 

消し去りたいもの

 

 

って想うほど

 

 

あまりよくはならないのだろうな

 

 

 

 

想ってる。

 

 

 

病気は

 

特に精神系のものは

 

身体から自分に向けたメッセージ

 

 

 

悪いことと捉えるのも

 

良いことと捉えるのも

 

自分次第。

 

 

 

自分の病気を嫌うことは

 

 

自己否定や、

 

自分を責めることにつながりやすい。

 

病気のせいでっ、あいつのせいでっ、

 

て、自分の外側に矛先を向けると

 

自分でコントロールできない世界で戦うことになる。

 

そうして、

 

自分の本当の気持ちを押しつぶしていく

 

気づかないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

病気を悪いものだっておもっていい。

 

なくしたいっておもっていい。

 

消し去りたいっておもっていい。

 

 

 

 

 

そんな時

 

 

私が病気を嫌うことが「出来る」のは

 

私が何を大切にしてるから?

 

私にはどんな望みがあるから?

 

病気が「ある」から私が気付けたことは?

 

出会えた人は?

 

 

 

 

 

 

病気に感謝できるほど

 

手をつなげるほど

 

病気のほうから手を離して見守ってくれるのかもしれない。

 

役目を終えたかのように。

 

 

 

 

 

 

 

劣等感って素晴らしい

 

劣等感は

 

持たないほうがよいもの

 

よくないもの

 

 

のように一般的には言われるけど

 

 

 

 

大事にしてほしいと想うんです。

 

 

 

 

 

あのひとにはこんな良いところがあるのに

 

自分なんて・・・

 

 

 

 

あのひとにはこんな良いところがあるのに

 

 

でストップ!!!

 

 

相手の素晴らしさに気づいたんですね

 

 

自分なんて・・・

 

 

相手の素晴らしさを

自分を責める道具にしてるのだろうか・・

 

 

 

あのひとにはこんな素晴らしいところがあるんだなぁ

 

そんなところに気づいた自分は偉いなぁ

 

伝えてみたいって想った自分も偉いなぁ

 

伝えた自分も偉いなぁ

 

って、そこでおわり。

 

 

自分なんて・・・

 

 

と想う自分も大事にしよう。

 

 

あなたが劣等感を感じることが「出来る」のは

 

あなたが何を大切にしてるからだろう。

 

あなた自身のことをどんな風に想いたいからだろう。

 

 

人生で起こることの全部は

 

つまるところ

 

自分が何を大切にしてる人なのか?

 

に気づかせてくれるものだと想う。

 

 

 

劣等感を感じても良い。

 

 

十分に感じて

 

 

自分が何を望んでるのか

 

何を大切にしたいのか

 

自分のことをどんな風に想いたいのか

 

 

きづいてあげて。

 

 

 

自分に◯をつけて生きよう。

豚はどうして生きてるの?

朝職場についたら

 

患者さんの気さくなじいちゃんが声をかけてきた。

 

統合失調症があることもあって

 

いつもニコニコしてて、

ホントに可愛らしい人なのだけど、

 

 

突然突拍子もないことを言ってきたりする。

 

 

それもホントに面白くて好きなのだけど

 

 

ちょうど出勤がてらの僕

 

ちょっとあと(僕がタイムカード押してから)

でもいいですか?

 

じいちゃん

 

そうなんだ、大事な話なんだけどな〜

 

え、じゃあききますよ?(立ち止まる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豚はどうしていきてるの?

 

 

 

キョトンとする僕

 

そのじいちゃんの人柄もあってか少し笑ってしまったのだけど笑

 

 

そんなのわかりませんよ?

豚に聴いてみてください

 

爆笑するじいちゃん

 

 

なんでしょうね〜

 

ただ僕らに出来るのは

 

有り難みをもって、食べることくらいかな?笑

 

 

 

 

 

 

 

・・・・

 

 

 

 

 

こんなコトバがスラスラ出てきたことに

 

自分でも驚いた。

 

 

日常でも

 

こんなことっていっぱいある。

 

 

そう。

 

自分以外の命が何を考えているのかなんて

 

100パーセントはわからないのだ。

 

 

わからなくて当たり前という捉え方を持ってるほうが人生楽しいのだ。

 

だから相手に気持ちを聴いてみた時に

様々な感情が起こるのだ。

 

それに、わからないことが前提だと

 

相手をコントロールしようとしなくなっていく。

 

相手次第で傷つくことも減るのだ。

 

 

つまりは

 

自分のしたいこと、自分に出来ること

 

を考えるようになっていくのだ。

 

 

 

 

豚の生きる意味は豚にしかわからないし、

 

豚の数だけ答えはあるのでしょう。

 

 

 

 

 

確かに

 

相手の気持ちを想いやることも大事

 

日本の察する文化も嫌いじゃない

 

 

でもいつも大事にしたいことは

 

 

 

自分に出来ることはなんだろう??

 

 

と自分に問いかけること。

 

 

 

 

人生を他人次第から自分次第へ。

 

ありがとう。

僕は精神科病院デイケアで働いている。

 

統合失調症とか

 

躁鬱病とか

 

発達障がいとか

 

うつとか

 

認知症ぎみだったり

 

ギャンブル、アルコール依存の気があったり

 

 

 

10代から1番上は80まで

 

 

 

地域で暮らしてる人たちが

 

生活の場として

 

居場所として

 

リハビリとして

 

仕事に就くためのステップアップとして

 

 

様々な目的があってやってくる。

 

 

 

 

 

 

朝にある方から電話があった。

 

「仕事を休んだからデイケアに行こうとおもったんだけど、やっぱり休みます。」

 

と。

 

 

僕はここ最近やりがちなことがあって

 

 

ネガテイブ(と捉えられやすい)ことを言われると、

すぐポジティブな話題に持っていきたがってしまうのだ。

 

 

それはある意味僕自身は成長したことでもあるし、

 

表面に出てるコトバの裏には

 

必ずその人の望みや意欲があると

 

信じきれているから。

 

 

 

 

だがしかし!

 

 

 

きちんとそのネガテイブ(と捉えられやすい)な

 

コトバを受け止めてあげないと

 

本人が自分自身の望みや意欲を

 

受け止めてあげられない。

 

 

こっちから

 

本当はこういう気持ちがあるのかな?

 

とか言ってると

 

そうだろうとそうでなかろうと

 

認めたくない、受け止めきれない気持ちが

 

出てきちゃったりする。

 

 

 

 

やってしまっては、

 

しばらく時間が経って

 

しまったー!!!

 

とあとから気づく繰り返し笑

 

 

でもそこに僕から僕に対しての

 

自己否定はなくて、

 

いやあるときもあるけど苦笑

 

次はこうしようとか

 

ここを更によくしたら、

 

もっと自分はステップアップ出来る

 

とワクワク出来るようになった。

 

 

 

 

 

そんなわけで

 

 

まずはじっくり聴かせてもらおう!

 

と自分に釘を刺してから

 

聴いてみる。

 

 

 

 

色んなやりとりがあって、

 

本人も家にいると鬱鬱しそうだってわかってる。

 

でもやっぱり行きたくない、と。

 

 

僕は基本的に本人の意思決定を尊重したい。

 

ただ

 

作業興奮ていうやつがあって

 

(掃除少しし始めたらどんどんしてしまったってやつ)

 

だから

 

家の外に出てみて階段を降りてみてください。

 

と。

 

その時に気持ちがどんな風になったか

 

また電話で教えてくれますか?

 

と言ってみた。

 

その数分後

 

電話がきた。

 

外に出てみたら

デイケアに行く気になってきたから行きます。

 

と。

 

僕はそのコトバを聴いて嬉しかったし

 

感謝した。

 

 

外に出て階段を降りてみるということを

 

素直に試してくれたこと、

 

そして、デイケアに行こうと決めてくれたこと。

 

 

 

 

で、

 

その人がデイケアにやってくる。

 

 

その姿をみてまた嬉しくなる。

 

 

ありがと〜!!

 

 

僕はそう声をかけた。

 

その人も

 

ニコっと「ありがと」

 

と言ってくれた。

 

 

 

これが昼間の出来事。

 

 

これを描いてるのが夜なのだけど

 

 

デイケアにメンバーさんが

(通ってくる患者さんをメンバーと呼んでいる。)

来てくれるということは

 

それだけで

 

診療報酬上の点数が入るわけで、

 

来てくれただけで

 

病院には利益が入るわけで

 

それだけでとっても有難いよな〜と

 

想ったわけで。

 

 

 

利益が入るから

 

とかそんなことは通り越して

 

日々彼らのみんなの純粋さに

 

僕の方が癒されてて

 

存在自体に毎日感謝しているのだけど

 

 

当たり前のことを

 

ちゃんと気づいたら

 

その深みが増したんです。

 

明日からはもっともっと

 

ラビングプレゼンスの状態で

 

接することが出来る。

 

そう想えると明日がもっと楽しいものに想える。

 

 

 

 

 

今日の出来事を思い返していたら

 

そんな想いがふわっと出て来て

 

みんながいる様子が浮かんで来て

 

温かい気持ちになって

 

描きたくなって

 

一気に描きました笑

 

 

 

もちろん

 

メンバーさんにイライラすることもある。

 

このやろう!  想うこともある。

 

でも彼らは憎めない。

そんな純粋さがある。

 

そんなこんな全部含めて

 

ただただ存在に感謝する毎日にしたい。

 

 

もちろん僕自身に対しても。

 

 

 

 

 

余談ですが

 

 

自分自身に対して

 

ありがとう、愛してる。

 

と声をかける習慣はあるだろうか?

 

 

僕は友人のススメで

 

アイフォンのリマインダーを使ったりして

 

実践している。

 

まだまだ一ヶ月も経っていないけど

 

最近の

 

自分の気持ちに素直になれてきたのは

 

これも大きいと想う。

 

 

詳しく知りたい方は

 

 

この書籍を。

 

 

 

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ブログって

 

当たり前だけど

 

誰が読んでくれたかわからない。

 

 

でも

 

 

アクセスがあるとやっぱり嬉しい。

 

 

 

 

今日は描きたいことが次々出てきました。

 

 

みなさんにも、僕自身に対しても

 

 

「ありがとう」

 

ありの〜ままの〜

 

と、いうけれど。

 

 

つまりどういうこと?

 

 

って

 

 

おもってしまったわけで

 

 

 

 

もう少し具体的に表現するならば

 

 

 

自分に正直に生きましょうね。

 

 

ということなんだと想う。

 

 

もうちょい具体的にするならば

 

 

 

自分の望みとか、

〜したいっていう気持ちとか

得たいコト

 

 

に素直に生きよう。

 

 

ということなんだと想う。

 

 

 

 

 

ちなみに、

 

避けたいコト

 

例えば

 

嫌われたくない

バカにされたくない

笑われたくない

傷つきたくない

恥ずかしいおもいをしたくない

 

 

などなどは

 

 

自分に素直ではないのだと想う。

 

 

 

 

もちろん

 

避けたいコトに意識が向いていい。

 

僕自身避けたいコトだらけが

 

意識の先にあったし、

 

今もそんな風になっては

 

意欲とか、望み側に気づくようにしてる。

 

 

 

 

 

避けたいコトに意識が向いてもいい。

 

ネガテイブ(と捉えられやすい)感情になってもいい。

 

 

 

そうなった時

 

 

そう想うことが出来るのは

 

私は何を大切にしたい人だからだろう?

 

私は私のことをどう想いたいからだろう?

 

 

 

自分に対する否定的なコトバ

 

自分を責めるコトバ

 

 

一般的にはよくないもののように言われるけど

 

 

それは私から私に向けた大切なメッセージ。

 

 

本当の気持ちに気づいてよ

 

私には価値があるでしょ?

 

 

って。

 

 

 

 

人間は生存本能があるがゆえに

 

どうしたって

避けたいコトや恐れ不安が先立ちがちになる。

 

 

 

 

でもそれらは

 

決して悪いコトではなくて、

 

一生懸命

 

ホントの気持ちに気づいて!

 

 

って語りかけてくれてるのだと想う。

 

 

 

だからそこまで迎えに行ってあげよう。

 

 

その為にも

 

避けたいコトをどんどん表現しよう。

 

マイナス(と捉えられやすい)感情は味わってあげよう。

 

 

 

 

ありのままステップ

 

 

①避けたいコト、マイナス感情に気づく

 

②その気持ちをそのまま味わう、表現する。

 

③だけど?と逆説で自分に問いかける。

 

もしくは

 

「そう想うことが「出来る」のは

 

どうして?

何を大切にしたいの?

自分のことをどう想いたいの?

 

④、③で気づいた気持ちを軸に行動する

 

 

 

特に大事なのが①と②

 

 

 

じっくり味わえば

 

自ずと③が出てくるから。

 

 

これがありのままで生きるヒントになりますように。

 

 

ライフワークにしたいこと。

カタルシス

 

とか

 

メンタルブロックが外れる

 

とか

 

無意識の思い込みが書き換わる

 

とか

 

解放される

 

とか

 

 

抽象度の高い表現だけど

 

 

自分の

 

 

意欲に気づくとか

 

望みに、得たいコトに気づくとか

 

その過程で自分に〇をつけれる瞬間に

 

 

 

それは起こるのかもしれない。

 

 

 

 

 

僕は

 

そんな瞬間に立ち会い続けて生きていきたい。

 

そんなきっかけになれる存在で在り続けたい。

 

 

 

 

 

人は

 

マイナス(と捉えられやすい)な感情に陥ったり

 

自分に×をつけたがったりするものだけど

 

 

 

充分に陥ればいい。

 

たくさん×をつければ良い。

 

 

そして、

 

自分が大切にしている

 

ヒト・モノ・コト・価値観に

 

気づいて。

 

 

それは自分の素晴らしさに気づくきっかけになる。

 

 

 

 

 

マイナス(と捉えられやすい)な感情にいる時

 

自分に×をつけたい時

 

 

 

わたしは何を大切にしたい人なんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

僕は

 

カタルシスの起こる瞬間に

立ち会い続けられるヒトで在りたい。

 

 

だからコーチングやカウンセリングを

 

 

ライフワークにしたい。

 

 

 

自分との関係がより良くなるにつれて

 

他者とも自然と分かち合えると想うから。

 

 

 

感情はあなたの〇〇にしていることに気づかせてくれるもの。

 

感情とは

 

 

大切にしているヒト、モノ、コト、

 

大切にしている価値観

 

 

に気づかせてくれるもの。

 

 

 

 

感情に囚われたっていい。

 

充分に浸ればいい。

 

 

 

 

 

その感情を感じることが出来るのは

 

 

私が何を大切にしたい人だからだろう?

 

 

 

それに気づいたら

 

そのエネルギーでもって

 

自分に他人に向き合って生きたい。