自分のために生きていこう。 ともひろのブログ

旧:死にたいって、言って良い。 精神保健福祉士ともひろのブログ〜マイナス感情の中の望み(意欲)に気づいた時。

味方でいて欲しかった。

なんとなく

 

他人は自分を傷つけるとか

 

裏切られるとか

 

守ってくれない

 

 

なんて、

 

おもうことがあって

 

 

他人に対する壁を

 

僕は無意識の部分で持ってた。

 

 

 

ひょんなことから

 

そのことに気づき

 

 

仲間が癒されていくところをみて

 

僕も癒された。

 

 

 

 

中学生時代、

 

父親が教頭先生をしてて

 

同じ学校に通ってたのだけど、

 

ある時

 

僕が部活の顧問と

 

大げんかをしたことがあった。

 

 

転校してまもなく、

 

前の学校は強豪校だったが

 

転校先はそうでもなく

 

ストレスをたくさん感じてた時だった。

 

 

ケンカしたあげく、

 

女性の顧問の先生に

 

死ね!

 

と言ってしまったという  

 

 

あの頃の自分は若かった  笑

 

 

 

女性の顧問は泣いて帰り、

 

もうひとりの男性の顧問から

 

個部屋でひとしきり絞られたあと

 

 

教頭でもあった父の登場。

 

 

当然、父親もめっちゃ怒るわけで。

 

 

 

その時に

 

とても悲しさを感じたのを

 

覚えてる。

 

ていうと、美化してるようだけど

 

うん、

 

どっちかというと

 

逆ギレしてたかな。

 

声には出さずにね。

 

顔には出てただろうけど。

 

 

その時、

 

 

どうせ人って守ってくれないんだな、

 

という思い込みを持ったのかもしれない。

 

 

今になって気づいたことは

 

僕はあの時

 

自分の中の

 

悲しいって感情を

 

置き去りにしていたということ。

 

 

父親に自分に対する愛情が

 

ないように思えて

 

とても悲しかったんだなぁと。

 

 

 

その時父親にどうして欲しかった?

 

 

味方になって欲しかった。

 

守って欲しかった。

 

話を聴いて欲しかった。

 

 

僕はどうしたかった?

 

父親に助けを求めたかった。

 

自分を認めたかった。

 

 

 

それは、誰を愛してるから?

 

 

父親。

 

 

 

今になって気づいたことは

 

 

ずっと父親に愛されていたということ。

 

 

父親に愛されてないと

 

感じていた悲しさは

 

誤解で、

 

 

ずっと僕のことを守ってくれてたんだな

 

 

今になってわかる。

 

とても実感している。

 

 

 

 

味方でいて欲しかった。

 

その気持ちを認められたら、

 

味方でいてくれていることに

 

気づいたら

 

 

人に対する不信感とか恐れとか

 

壁みたいなものが

 

なくなったように想う。

 

 

 

 

 

大人になると

 

子供の頃に感じきれていなかった

 

未消化の感情が

 

邪魔をすることがあるのだけど

 

 

でもそれってとても素晴らしくて

 

きちんと消化できた時に

 

溢れる涙や

 

癒された感覚は

 

とても美しい。

 

 

誰しも子供の頃に感じきれなかった、

 

消化しきれていない感情は

 

持っているもの。

 

もちろん持ったままでも良い。

 

それは僕にとっても

 

大切な防衛反応だから。

 

 

ただ、そろそろ

 

そこから卒業したいと想えたのなら。

 

 

 

この世は愛を想い出すための舞台装置。

 

 

今も素晴らしいし、

 

今よりもっと

 

素晴らしい世界に出会えるのだろう。

 

 

 

 

どうせ守ってくれない。

 

裏切られる。

 

助けてくれない。

 

味方でいてくれなかった。

 

 

 

 

 

そのとき、

 

 

 

 

一番味方でいて欲しかった人は

 

 

 

 

誰ですか?

 

相手のリアクションが気になるときは

転職を職場の人間に

 

7.8人くらい

 

個別に伝えて

 

伝える前は

 

どんなリアクションが返ってくるのか

 

気になってしまっていたのだけど

 

 

誰に伝えても

 

 

なんだかんだ応援してくれる。

 

 

結局辞めること自体は

 

そんなに問題じゃなくて

 

 

相手が求めていることは

 

単に

 

きちんと向き合って欲しい

 

 

僕がどう感じてるか教えて欲しい

 

 

てことだったんだな〜と

 

 

やっとわかってきたわけで。

 

 

 

今までの職場を辞めることと

 

違うところは

 

僕自身が

 

一人ひとりにきちんと

 

自分の想いを伝えていること。

 

相手が応援してくれること。

 

送別会しようとか

 

辞めたあとも飲みに行こうとか

 

そんな言葉をかけてくれること。

 

 

 

自分の恐れはなんてことなかったな〜

 

きちんと自分の想い伝えた自分偉いな〜

 

みんな優しいんだな〜

 

 

って

 

 

満たされつつも

 

 

 

 

辞めることを伝えることは

 

 

 

毎回びびるわけで

 

 

そんな自分は

 

 

やっぱりまだいるわけで

 

 

 

 

いったいこれはなんなんだ!

 

 

って

 

モヤモヤ、イライラしていたのだけど

 

 

 

 

相手のリアクションが気になるときは

 

 

 

つまりは

 

 

 

相手に自分を満たしてもらおうとしていた

 

ってことだったんだな〜と

 

気づいたんです。

 

 

相手からの

 

批判や

 

否定を恐れることも同じで

 

 

相手に満たしてもらいたいという

 

想いが強いうちは中々なくならないもの。

 

 

承認欲求ってやつは

 

誰しも持っていて

 

 

褒められたい

 

認められたい

 

評価されたい

 

などなど

 

 

 

それを相手から求めると

 

 

 

いつも不安がつきまとうことになる。

 

 

相手は自分の思う通りにならない

 

というか

 

 

相手の自由にさせてあげよう

 

と  笑っ

 

 

 

 

じゃあ

 

どうしたらいいの?

 

 

 

自分で、自分のことを認めてあげよう。

 

自分のことを褒めてあげよう。

 

自分のことを褒めてあげたくなるような

 

ことをしよう。

 

いつも、好きな自分でいよう。

 

 

 

自分の価値は、自分で決めよう。

 

 

 

相手から求めようとすると

 

 

人間は賢くて

 

意識的にも

 

無意識的にも察知してしまう。

 

 

認めてほしい!

 

褒めてほしい!

 

受け入れてほしい!

 

 

もちろん想っていい。

 

 

ただ相手には

 

どことなくコントロールされようとしてるような

 

 

そんなエネルギーを感じさせて

 

しまうかもしれない。

 

 

 

自分で自分のことを

 

認めたい

 

認めたいことをしたい

 

褒めたい

 

褒めたくなるようなことをしたい

 

好きな自分でいたい

 

 

 

そんな自分で

 

 

そんなエネルギーでいると

 

 

外側の現実も変わってくるのだろう。

 

 

 

少なくとも

 

 

 

相手のリアクションが気になったり

 

 

恐れてしまうことは

 

 

減っていくのだろう。

 

 

 

 

承認という栄養は

 

他人からでなく

 

自分で自分に与えてあげよう。

 

 

そうしていると、

 

 

他人から与えてもらった時に

 

 

もっともっと感謝出来るのだろう。

 

 

 

 

他人軸だと

 

 

相手に、誰かに

 

自分を

 

安心させて欲しい

 

仲間に入れて欲しい

 

認めてほしい

 

 

となるんだけど

 

 

 

自分軸だと

 

 

自分で安心したい

 

仲間だと感じたい

 

自分で自分を認めたい

 

 

 

 

 

この自分で自分を認めたい

 

好きな自分でいたい

 

 

 

これを今月は

 

 

 

 

特に実践して行こう

 

 

 

 

 

そう想えた一夜でした。

 

疑いの世界から抜け出すには

転職にあたって

 

同じ資格の精神保健福祉士のみんなには

 

1人ずつ、個別で伝えていってるのだけど

 

 

今日その上司に転職のことを話し、

 

 

ゆくゆくは自分で事業所を持ちたい

 

 

そんな話をしてみたら

 

 

すごい!

 

 

と、コトバをかけてくれた。

 

 

 

その上司は

 

 

とてもエネルギーに溢れていて

 

 

とても素敵な方だ。

 

 

 

正直そこまで褒められることなど

 

ないまま退職するだろうと思ってたぶん

 

 

 

けっこう嬉しかった。

 

 

 

 

というか、あまりに予想外でびびった笑っ

 

 

 

 

そんなあと

 

 

 

ふと、

 

 

あれって本心だったのかな〜

 

 

 

 

 

思う自分が出てくる。

 

 

 

 

 

 

相手の人が言ってくれたコトバ。

 

 

 

それがホントかな〜と

 

思い始めてることに気づいたら

 

 

 

選択肢は2つあると思っていて

 

 

 

1つは相手の気持ちを度合いで

 

確認してみること。

 

 

どれくらい、

 

すごいって思ってくれたんですか?

 

って。笑

 

 

相手の気持ちは

 

相手の中にしか答えはないから。

 

 

 

 

もう1つは

 

 

自分に質問してみる。

 

 

僕はその上司のことを

 

どう思いたいの?

 

 

って。

 

 

 

とても尊敬してる、

 

 

正直この人のもとでなら

 

 

もう少し働いてみたかった。

 

 

 

 

 

そんな自分の気持ちに気づいていったら

 

 

 

相手のコトバが真意かどうかは

 

 

関係なくなってきた。

 

 

 

 

要は

 

 

疑いの世界に入った時

 

 

それは

 

 

不安を感じてるということ。

 

 

 

疑いの不安を安心感に変える方法が

 

 

相手に度合いで確認することと、

 

 

相手のことを、

 

「自分は」どう思いたいのか

 

自分に聴いてみること。

 

 

 

 

疑いの世界って

 

 

相手次第の世界にいるっていうこと。

 

 

相手がこう言ってくれたから嬉しいとか

 

相手がこうしてくれたから楽しいとか

 

相手が何かしてくれたから好きとか

 

 

 

全然思っていい。

 

 

 

 

でも、僕は

 

 

この人のことを

 

その人のことを

 

 

こんな風に

 

そんな風に

 

 

愛情を持って想えたこと

 

捉えられたこと

 

 

 

自分がそんな風に

 

想えることを

 

自分で選べたこと。

 

 

 

そんなところに

 

 

喜びを感じて生きたい。

 

 

 

 

この人は本心で言ってくれてるのかな

 

 

そんな時

 

その人のことを

 

「あなたは」どう想いたいですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疑いの世界から抜け出したなら

 

 

 

大切な人に

 

 

何て伝えよう?

たくさんの、有り難いを感じよう

同じ部署の先輩に

 

転職のことを伝えてきた。

 

 

ふざけるな

 

今のタイミングで?

 

残念だ。

 

応援なんかしないよ

 

 

 

そんな言葉をはじめに言ってくれた。

 

 

 

 

おかげで気付けたことがある。

 

 

僕の転職を職場に伝えることの不安は

 

 

結局のところ

 

 

相手から自分に、

 

マイナス感情を向けられることだった。

 

 

 

これだけマイナス感情は素晴らしい

 

 

というブログを書いておいて

 

 

自分に向けられるのは怖かったという 笑

 

 

 

 

 

でも

 

 

 

 

冒頭のコトバを言ってくれたのは

 

 

どんな意欲からだろう?

 

 

そう想ったときに

 

 

 

あぁただ自分と一緒に働きたいと

 

思ってくれてたんだな

 

とか

 

つながりを感じてくれてたんだな

 

と想えたんです。

 

 

 

 

有り難いなぁ。

 

 

 

 

自分がそんなエネルギーでいると

 

 

 

不思議と相手のコトバも変わってくるもので

 

 

 

いまのうちにやりたいこと

 

やりきったらいいよ

 

とか

 

確かに残念だし

 

いまのタイミングよりはあとのほうが

 

いいんじゃないかなとは

 

思うけど

 

転職してもまた飲みに行こう。

 

とか

 

 

下手に応援するより

 

先輩は自分の正直な気持ちを伝えたいと

 

 

批判したい

 

残念だ

 

さみしい

 

 

気持ちを伝えたうえで

 

 

僕のことを応援してくれると

 

 

言ってくれた。

 

 

 

 

 

ここ最近、

 

僕は恐れの世界にいたのだけど

 

 

ちゃんと自分と向き合って

 

相手と向き合って

 

そもそも人間本来のしたいことに

 

相手を傷つけたいとかないし

 

 

相手の優しさを信頼して

 

 

なにより自分の

 

 

大切な人たちが周りにいることに

 

ちゃんと気づいて

 

 

大切な人たちを大切にしたい

 

 

そんな自分の意欲を大事にして

 

 

 

どんな批判にきこえることも

 

 

相手の意欲に目を向けて

 

自分の意欲に目を向けて

 

 

 

ただただ

 

 

有り難いなぁ

 

 

 

そう思おう。

 

 

 

そう感じよう。

 

 

 

自分に向けられるマイナス感情も

 

 

肯定する。

 

 

それは僕にとって

 

必ずなにかの役にたつ。

 

 

 

 

 

そんなエネルギーでいると

 

 

 

 

少なくとも僕の大切にしたい

 

 

ほとんどの人たちからは

 

 

 

愛情がかえってくるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを

 

 

肌で、身体で、

 

 

 

体験できた一日でした。

 

 

 

 

 

真実の世界はいつも優しい。

 

 

 

僕のメンターのコトバだ。

 

 

 

 

 

たくさんの愛情を感じて

 

 

与えて

 

 

 

たくさんの有り難いを感じよう。

 

 

 

 

仲良くなりたい? 仲間だと感じたい?

 

 

ここ最近

 

 

自分が人と仲良くなりたいとか

 

仲間だと思いたい

 

 

 

 

そんな気持ちを認めただろうか

 

 

 

 

 

なんだかうまく仲良くなれない

 

自分にとてもイライラしてた。

 

 

 

同僚がほかの同僚と

 

仲よさそうに協力して

 

資料なんかをつくってるのをみて

 

 

 

この前はイライラしてたんだけど

 

 

 

あぁ、ただうらやましいんだなぁって

 

 

 

認めてしまった。

 

 

 

 

 

自分もそんな風に

 

仲間だと感じて

 

協力して仕事したい。

 

 

そんな意欲に気づいたんです。

 

 

 

 

そのものの、

 

 

 

仲良くなろうとしたり

 

相手が心を開いてくると

 

 

なんだかイヤな感覚がするのは

 

 

中々抜けなかった。

 

 

 

 

 

なんでかな?

 

 

 

 

こういう時は

 

 

自分の中に何か

 

 

ブレーキになる思い込みがある時。

 

 

 

望んでるのに、

 

中々それを叶えたい意欲が湧いてこない。

 

 

 

そんな時は

 

 

ブレーキをみつけるには

 

 

こんな質問を自分にしてみる。

 

 

 

それが叶ったら

 

どんなことに困りそうですか?

 

 

 

僕はさんざん職場の人間関係で

 

色々あったものの、

 

同僚や上司のことは

 

人としてホントに好きだ。

 

 

だからこそ、つながりたくて

 

中々うまく繋がらなくて

 

イライラして

 

うらやましいとおもって・・

 

 

 

 

 

つながりを感じたい!

 

のに

 

イヤな感じがする。

 

 

 

つながりを感じられるようになったら

 

つながりの喜びを知ったら

 

仲良くなれたら

 

仲間だと心の底から思えたら

 

 

何に困りそうですか?

 

 

 

 

 

湧いてきた答えは

 

 

 

そこから離れられなくなる。

 

 

だった。

 

 

 

離れられなくなったらどうなりそうですか?

 

 

自分の夢を追えなくなる。

 

 

追えなくなったらどうなりそうですか?

 

 

無気力な人間になったらどうなりそうですか?

 

 

孤独死する。

 

 

 

 

 

無意識レベルでは

 

 

これって

 

 

最初のやつと

 

最後のやつがつながって

 

ブレーキになる思い込みになるらしく

 

 

つまりは

 

 

つながりの喜びを知ったら

 

孤独死する

 

 

 

なんて、とんでもないことを

 

 

無意識はホンキで思ってるらしい。

 

 

 

 

 

 

気づいただけでも

 

思い込みは溶けていく。

 

 

 

 

つながりの喜びを感じることと

 

そこから離れられなくなることは別なことで

 

 

つながりの喜びを知ったら

 

喜びから夢を追えて

 

喜びからエネルギーの高い自分でいられて

 

 

たくさんの喜びを感じて死ねるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

転職することを

 

 

同僚たちに伝えることに

 

 

不安が全くないわけじゃない。

 

 

 

でも

 

 

人間本来の

 

大元の欲求は

 

 

安心したい

 

つながりを感じたい、仲良くなりたい

 

自分を好きになりたい

 

新しいことをしたい

 

 

 

だそうだ。

 

 

 

 

 

 

これ、何回も教わってて

 

気づいてなかったことがあって

 

 

人間本来の、大元の欲求に

 

 

だれかを

 

 

否定したいとか

 

傷つけたいとか

 

 

ないんだよね。

 

 

 

 

いつでも

 

 

自分と、相手の

 

 

大元の欲求を感じること。

 

 

 

そうやって

 

 

安心感を感じて

 

つながりを感じて

 

 

そんな自分をねぎらって

 

 

新しい職場に向かいたい。

 

 

 

 

 

転職に罪悪感を感じた時は

転職することを職場に伝え始めてから

 

 

どうにも罪悪感がたくさん湧いてきた。

 

罪悪感から同僚とかと一緒にいる時に

 

変に距離をとってしまう。

 

 

 

 

転職すると

 

自分は何に困るのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色々あるけど

 

 

 

根本は

 

 

 

自分はいまの職場を見捨てる。

 

 

 

って感覚になってた。

 

 

 

 

これ、どういうことかというと

 

 

今日気づいたのだけど

 

 

 

自分がいないと職場がダメになるとか

 

 

自分がいなくなると同僚たちが苦しむとか

 

 

 

そんな気持ちがあった。

 

 

 

 

でもこれって、

 

 

 

要は

 

 

 

同僚たちをある意味

 

無力な人だと捉えていたってことなんです。

 

 

 

 

自分のそんな気持ちに気づけたら

 

 

 

気づけた俺って偉いなぁと

 

 

自分をねぎらって

 

 

 

本当に自分がいないと

 

職場はダメになるのか?

 

 

って自分に聴いてみる。

 

 

 

 

 

そんなことなくて、

 

 

 

 

 

同僚たちも上司も

 

 

無力なんかじゃない。

 

 

 

むしろ良かれ悪かれ

 

好きでその職場にいるわけで

 

 

 

むしろとても意欲があって

 

 

信頼できる人たちなわけで

 

 

 

 

 

そう想うと自分いなくても

 

全然大丈夫じゃん

 

 

と想えたのです。

 

 

 

 

 

僕にありがちなのは

 

 

 

知らず知らずのうちに

 

 

相手を無力な人だと捉えてしまうこと。

 

 

 

無力だと捉えた人たちのことを

 

 

救いたいと想うとこ。

 

 

 

 

それ自体、自分の意欲は素晴らしいと想う。

 

 

 

 

 

ただ、そう想えたのなら

 

 

 

 

仲間の力を、意欲を信頼することだ。

 

 

 

 

自分がいなくても大丈夫。

 

 

 

 

むしろ、僕が僕の人生を大事にすることが

 

 

 

巡り巡ってみんなのためになる。

 

 

 

 

 

 

そもそも、無力な人たちなんかいない。

 

 

 

 

 

 

これからは

 

 

 

みんなの意欲をもっと

 

 

 

 

信頼する自分でいたい。

 

 

 

 

転職に罪悪感を感じたときは

 

 

 

職場の人間を信頼して

 

 

自分の人生を大切にして

 

 

自分に出来ることをやろう。

 

 

 

 

 

僕に出来ることは

 

 

仲間と協力しあって

 

 

つながりをたくさん度合いで感じて

 

 

度合いを高めて

 

 

 

応援してもらって

 

 

応援して

 

 

 

 

 

罪悪感を感じたのなら

 

 

 

素直に表現して

 

 

 

 

それからありったけの

 

感謝を込めて

 

 

 

 

 

新しい出会いに向かおう。

 

 

 

 

 

 

僕のやりたいことは

 

 

 

 

 

業界を今以上に元気にすること。

 

 

 

 

 

少人数の利用者さんたちと

 

 

深く関わって

 

 

 

成功事例をつくって

 

 

 

 

 

そのノウハウを

 

 

 

 

たくさんのところに伝えていくこと。

 

 

 

 

 

もっと

 

 

 

 

当事者たちが

 

 

 

 

自分の体験談を

 

 

 

地域の人たちに

 

 

 

精神科にいる人たちに

 

 

 

 

伝える場をつくること。

 

 

 

 

 

 

そうして、その話を聴いて

 

 

 

当事者への偏見が薄まり

 

 

 

自分も働いてみたい!

 

 

 

となる人が増えたり

 

 

 

そんな循環をつくりだすこと。

 

 

 

 

 

 

 

自分がいなくても

 

 

 

 

 

そんな循環がまわること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな理想を叶えたい。

 

 

 

 

 

つながりを感じるために必要なこと その2

どうにもこうにも

 

他人と繋がってる感覚がわからない

 

仲間だという感覚がわからない

 

 

 

 

 

そんなことが多かった。

 

 

 

 

 

これって原因はとても簡単で

 

 

 

つながりを感じたかどうか

 

で考えていたわけ。

 

 

仲間かそうじゃないか

 

 

 

 

要は0パーセントか100パーセントでしか

 

 

捉えようとしていなかったってこと。

 

 

 

 

 

 

僕の場合は

 

 

特に知らず知らずのうちに

 

 

0/100で考えている癖は多い。

 

 

 

というか、

 

 

自分の中で何かうまくいかないな

 

 

苦しいな

 

 

となりだすパターンは

 

 

これ。

 

 

 

 

自分の中に潜んでる0か100で

 

物事をみる癖に気付こう。

 

 

 

 

 

自分のパターンを知ることは

 

 

とっても大事で

 

 

知ってれば解消も早い。

 

 

 

 

習慣になってくると

 

 

 

同じことで悩まなくなっていく。

 

 

 

悩んでいたことさえ

 

忘れていくこともある。

 

 

 

 

つながりを感じることは

 

 

自分だけで出来る。

 

 

 

 

あなたのまわりにいる人たちとの

 

 

つながりの度合いは

 

 

仲間だと想えている度合いは

 

 

 

どれくらいですか?

 

 

 

 

 

 

 

自分を責める癖がだいぶなくなっているからだろうか

 

 

 

度合いが例え低くても

 

 

 

それならば

 

どうやって増やそうか?

 

 

となる自分がいる。

 

 

 

 

 

僕は転職の話を職場に

 

伝え始めたけど

 

 

職場の仲間との

 

 

仲間だという感覚は

 

 

 

 

持ち続けていたい。

 

 

 

 

度合いで感じたら

 

 

0は絶対なくて

 

 

意外と高く感じてるんだなと

 

 

わかった。

 

 

 

 

それだけでも嬉しいし

 

 

 

そんな感覚やエネルギーでいると

 

 

まわりの反応もまた変わってくるのだろう。

 

 

なんだかうまくいかない

 

 

苦しいと想いだした時

 

 

あなたの中には

 

 

 

僕の中には

 

 

 

 

 

どんな0と100の考えが

 

気持ちが浮かんでいますか?