自分のために生きていこう。 ともひろのブログ

旧:死にたいって、言って良い。 精神保健福祉士ともひろのブログ〜マイナス感情の中の望み(意欲)に気づいた時。

私の行動は報われる?

満ちている私で在るために。

 

 

 

自分が何かすることが

 

報われるかどうかで考えないこと。

 

 

僕は自分を表現するとき、

 

何かを相手に伝えるとき、

 

それが報われるのかどうか?

 

で、考えがちだった。

 

 

つまりは、

 

相手が喜んでくれた、とか

 

笑ってくれた、とか

 

自分の満足する意見を言えた、とか

 

いいこと言えた、とか。

 

 

 

これは

 

無意識にでも

 

いや、最近は自覚も出てきたな

 

相手に見返りを求めたり

 

自分の恐れを相手に伝えてしまう。

 

 

 

人間はホントに高度な生き物で

 

無意識の

 

意図

 

を察知する。

 

 

見返りを求められたり

 

不安なエネルギーをぶつけられることを

 

察知してしまう。

 

 

 

 

報われるかどうかでなく

 

何かをした結果ではなく

 

行動そのもの。

 

に、焦点を当てよう。

 

 

 

その行動そのものが

 

自分へのご褒美になるように

 

喜びになるように。

 

 

そうすると、

 

また違った世界を

 

自分でみることが出来るのだろう。

 

 

報われたい気持ちもわかる。

 

それ自体フツーだし

 

僕自身ずっとやり続けてきたこと。

 

 

ただ、

 

 

もっともっと深い人間関係を築くのなら

 

報われたい気持ちの底にある意欲に

 

気づくこと。

 

相手の喜んだ姿がみたいのなら

 

 

自分自身へのご褒美になる行動で

 

 

何かをしてあげよう。

 

 

何かをプレゼントしてあげる、

 

何かを手伝ってあげる、

 

何かを表現してあげる、

 

それ自体が自分へのご褒美にもなるのなら

 

 

きっと相手の反応も

 

 

100パーセントとは言わないけども

 

 

長い目でみたら

 

 

とても変わって見えてくるでしょう。

 

自分へのご褒美になる行動に

 

気づいていこう。

 

増やしていこう。

 

 

 

 

 

自分へのご褒美だと

 

自分が捉えている行動は

 

どれくらいありますか?

 

 

 

 

自分にたくさんの

 

 

ご褒美になる行動をさせてあげよう。

 

 

 

 

満ちている私で在るために。

 

 

小さな前進を大事にする。

満ちている私で在るために。

 

 

小さな前進を大事にしよう。

 

それに気づいて喜びを感じよう。

 

階段を登るように。

 

 

反対は

 

大きな一歩で考えているとき

 

自分責めが生まれやすい。

 

超えられない崖をみては

 

登れない自分を責めるように。

 

 

 

いま、ここ。は

 

常に何か前進している。

 

いつも、

 

喜びを見つけよう。

 

 

 

そのほうが、人生楽しい。

自分を表現することと、〇〇は別

満ちている私で在るために。

 

 

自分を表現すること。

 

言いたいことを言うこと。

 

伝えたいことを伝えること。

 

自分の気持ちを隠さないこと。

 

抑圧しないこと。

 

 

僕は

 

自分を表現するとき

 

同時に自分を責めていることが多かった。

 

その程度のことしか考えられないのか

 

それ言っていいのか

 

大した意見じゃないな

 

 

なんて頭の声が同時に鳴り響く。

 

 

 

でも、

 

 

自分を表現することと、

 

自分を責めるのはまったく別のこと。

 

表現したあとで

 

自分を責めるのか

 

小さくても前進したことに

 

喜びを見出すのか

 

自分で選べばいい。

 

 

 

満ちている私で在るために。

 

 

自分を表現しよう。

 

伝えたいことは伝えよう。

 

自分を責めることを選ばずに

 

小さくても前進している喜びを感じながら。

 

階段を登る、楽しみを味わいながら。

満ちている私で在るために

満ちている私で在るために

 

満ちている私に気づくために

 

満ちている私に戻れるように

 

 

満ちている時に

 

自分がしている行動を

 

これからこのブログで書いていくことにしました。

 

 

 

満ちている私で在るために

 

 

まず必要なことは

 

満ちている時に

 

自分がどんな行動をとっているか

 

知ること。

 

満ちていない時の行動を知り

 

それをしようとしたり

 

している自分にまず気づくこと。

 

 

そして、

 

満ちている時の行動を

 

主体的に、選ぶ、こと。

 

 

満ちていないと感じた時は

 

今してることの反対のことをしてみること。

 

 

 

満ちている私で在るために。

 

 

自分の幸せは、

 

時には他人の力も借りながら、

 

自分で感じられるように。

自分をねぎらうために必要なことは

自分自身に対して

 

いいね!

 

と、ねぎらうために

 

大事なことは・・

 

 

いきなり自分に対しては

 

自然に出来るひともいるだろうし

 

そうでないひともいるとおもう。

 

 

僕はそうでないほうだった。

 

 

 

自分をねぎらうために

 

まず大事なことは

 

 

自分自身に対して

 

その気持ちわかる!

 

と共感してあげることだ。

 

 

どうしてこれが必要なのかというと

 

 

自分の頭の中の湧いてきた気持ちに対して

 

わかる!

 

ではなく

 

ちがう! そうじゃない!

 

となると

 

自分を責めたり

 

自己否定をしやすくなるからだ。

 

自分自身に対して

 

ちがう! そうじゃない!

 

が、知らず知らずのうちに

 

頭の中で癖になっていると

 

相手に対しても

 

ちがう! そうじゃない!

 

 

となりやすい。

 

 

僕はそういうパターンを持ってることに

 

気づく。

 

 

他人とのつながりを

 

深く感じたい。

 

そう思って

 

自分と他人との相違点を

 

違うとこに目が向きがちな

 

自分の癖を修正したく

 

他人との共通点や

 

他人に対して

 

わかる!と共感しようとしてきたけど

 

 

 

 

一番大事なことに気づいてなかったな〜と。

 

 

気づけてよかったし、

 

気づきたかった自分の気持ちもわかる。

 

そして、気づいた自分偉い!

 

 

 

 

うん、

 

 

 

何が言いたいかというと

 

 

 

他人とつながりを感じようとする前に

 

他人にわかる!

 

と、共感する前に、

 

 

 

 

自分自身に対して

 

 

わかる!

 

 

と共感してあげようね。

 

 

ということ。

 

 

そしたら

 

 

自然と自分をねぎらいたくなってくるし

 

他人ともつながりを感じやすくなる。

 

 

 

てこと。

 

 

 

自分自身に対して

 

 

違う、そうじゃない

 

 

が口癖になってると

 

 

自分自身に対して

つながりを感じていないのだから

 

自分を責めやすくなる。

 

もしくは

 

他人を責めやすくなる。

 

そして

 

自分をねぎらえずに

 

自分に対する肯定感は

 

下がっていく。

 

ざっくり言えば

 

自分に対して自信が感じられなくなっていく。

 

 

 

 

ブログを書こうかなと

 

久々に思ったんです。

 

 

そんなとき

 

頭のエゴの声は

 

めんどくさくない?

 

とか

 

時間かかるよ?

 

とか

 

なんで書くの?

 

とか

 

いろいろ浮かんで来る。

 

でも、

 

まず先に

 

自分に、わかる!と言ってあげる。

 

共感してあげる。

 

そうすると

 

あ〜自分が気づけたこのことを

 

ブログを通して記録に残しておきたいんだな

 

とか

 

この喜びを誰かに伝えたいんだな

 

とか

 

巡り巡って誰かの役に立てばいいな

 

とか

 

俺って意欲的だな

 

とか

 

書きたい気持ちが

 

伝えたい気持ちが

 

湧いてくるんです。

 

 

 

 

そして、

 

 

書きたくて描く。

 

喜びから描く。

 

 

そんな自分でいられました。

 

 

 

 

自分を大切にするために

 

自分をいいね! とねぎらってあげるために

 

 

たくさんの

 

わかる!

 

 

共感を

 

自分にしてあげよう。

 

 

違う、そうじゃない!

 

が先立つと

 

頭はそれ以上考えることを

 

辞めてしまう。

 

 

わかる!

 

が先立つと

 

例えマイナス感情のときでも

 

頭は意欲のほうを

 

探そうとする。

 

見つけられたとき

 

たどり着けたとき

 

自然と自分をねぎらっていることだろう。

 

そうして、

 

自然と喜びから

 

行動したり、何かに挑戦しているのだろう。

 

 

 

 

 

 

自分をねぎらうために必要なことは

 

 

たくさんの

 

 

わかる!

 

 

共感を

 

 

自分にしてあげよう。

 

 

 

 

 

今の職場を退職するまで

 

あと4日になりました。

 

 

 

いま以上に

 

 

自分と、

 

みんなと、

 

 

つながりを感じたい。

 

 

すでに自分の中に在った。

フェイスブックのプロフィール写真を

 

昔のままにしてた。

 

昔の写真のままにしてるということは

 

今の自分がキライ、

 

の度合いが高いそうだ。

 

 

メンターのすすめで、

 

その場で撮ってもらった

 

「いま」の写真に変えてみる。

 

 

 

 

その自分の写真をみて

 

なんだかしみじみ想ったのは

 

 

なりたい自分はすでに

 

自分の中に在ったんだな、

 

ということ。

 

 

ずっと

 

自分を変えたい

 

とか

 

今の自分じゃダメだ

 

とか

 

なにかを成し遂げられたら

 

結果を出せたら

 

 

そんなことばかり

 

考えて

 

自分なりに努力してきたのだけど

 

 

 

いまの僕にないと思っていて

 

いつかなりたいと想っていた自分は

 

すでに

 

今の僕の中にあった。

 

 

親しみやすさや

 

無邪気さや

 

情緒の豊かさ

 

意思の強さや

 

意欲の高さ

 

 

 

 

 

自分じゃない何かになろうとしても

 

痛みを伴うだけ。

 

なりたい自分は、

 

変わりたい自分の姿は、

 

 

既に自分の中に在って、

 

 

 

その自分をもっと活かしてあげたい。

 

 

 

 

転職先のコンセプトは

 

顧客の、

 

その人らしさを大事にする。

 

なのだけど、

 

結果を出せたら、とか

 

変われたら、成長出来たら、

 

ではなくて、

 

 

変わりたい自分は

 

なりたい自分は

 

すでに

 

あなたの中にあるんですよ

 

と、メッセージを伝えて生きたい。

 

 

 

もちろん、僕自身に対しても。

 

 

 

自分の中の

 

変えたいと想っていた部分も

 

受け入れてあげよう。

 

 

自分の中の

 

活かしたい部分に

 

気づいてあげよう。

 

 

この自分はダメ

 

この自分はOKじゃなくて

 

 

 

どんな自分も認めてあげよう。

 

 

 

 

 

そうすることで

 

 

 

自分を統合していこう。

 

 

 

 

なりたい自分は、

 

すでに自分の中にあった。

 

 

 

あなたの中には

 

 

どんな

 

なりたい自分が

 

在りますか?

 

死ぬときに感じることが出来ることは

アップル創業者

スティーブ・ジョブズ氏の最後の言葉

 

私は、ビジネスの世界で、

成功の頂点に君臨した。
   
他の人の目には、

私の人生は

成功の典型的な縮図に見えるだろう。

しかし、

いま思えば仕事をのぞくと、

喜びが少ない人生だった。

人生の終わりには、お金と富など、

私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。

病気でベッドに寝ていると、

人生が走馬灯のように思い出される。
  
私がずっとプライドを持っていたこと、

認められることや富は、

迫る死を目の前にして色あせていき、

何も意味をなさなくなっている。
   
この暗闇の中で、

生命維持装置のグリーンのライトが

点滅するのを見つめ、

機械的な音が耳に聞こえてくる。
   
神の息を感じる。

死がだんだんと近づいている。。。。
   
今やっと理解したことがある。
   
人生において

十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、
富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。
   
もっと大切な何か他のこと。

それは、人間関係や、芸術や、

または若い頃からの夢かもしれない。

終わりを知らない富の追求は、

人を歪ませてしまう。私のようにね。
   
神は、誰もの心の中に、

富みによってもたらされた幻想ではなく、

愛を感じさせるための

「感覚」というものを与えてくださった。

私が勝ち得た富は、

私が死ぬ時に

一緒に持っていけるものではない。
   
私があの世に持っていける物は、

愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。

これこそが本当の豊かさであり、

あなたとずっと一緒にいてくれるもの、

あなたに力をあたえてくれるもの、

あなたの道を照らしてくれるものだ。


あなたの人生が

どのようなステージにあったとしても、

誰もが、いつか、

人生の幕を閉じる日がやってくる。

あなたの家族のために

愛情を大切にしてください。

あなたのパートーナーのために

あなたの友人のために。

そして自分を丁寧に扱ってあげてください。

他の人を大切にしてください。

スティーブ・ジョブス
1955年2月24日 - 2011年10月5日

 

より一部抜粋

 

 

 

 

 

 

死ぬときに

 

目をつむり

 

死の瞬間をまさに迎えようとしてる時

 

この世を去ろうとしてる時

 

そこには

 

誰もいない。

 

金も

お気に入りの、例えば車とかも

 

そこには、ない。

 

 

あるのは記憶だけだ。

 

 

 

 

それならば

 

 

今、僕の中にある

 

愛情で満たされた記憶を大事にして、

 

これからも

 

愛情で満たされた記憶を

 

満たした記憶を

 

たくさんつくっていこう。

 

出会っていこう。

 

 

 

 

死ぬときに感じることが出来るのは

 

記憶だけ。

 

思い出だけ。

 

 

どんな記憶と、

 

思い出たちと、

 

 

一緒にこの世を旅立ちたいですか?

 

 

 

 

 

眠る時もそう。

 

 

今日一日の

 

どんな記憶や

 

思い出たちと

 

一緒に眠りにつきたいですか?

 

 

 

 

愛情で満たされた記憶、

 

満たしてあげた記憶、

 

 

それは、

 

いつも僕と一緒に

 

在る。

 

 

 

 

 

今日という日を、

 

今を、

 

この瞬間を、

 

より大切にして

 

生きたい。

 

 

 

ジョブズ氏のコトバから

 

 

そんなことを想えたのでした。